2005 年
8 月
8 日
契りの重さ
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「契りの重さ」今日ほど多くの国民が衆参両院本会議のテレビ中継を固唾を呑んで見守った日は珍しいかも。郵政法案否決、そして衆議院の解散。国政への関心が一挙に高まり総選挙は多いに盛り上がる?政権交代に向け猛ダッシュする絶好のチャンス!「こんな夜に政治の末席に身を置かせていただきながら浮かない顔はいけませんよ。」どこからかそんな囁きが聞こえる気がする。 解散告知を今か遅しと待ち、我々との約束を果たすべく、とるものもとりあえず駆けつける人物を待つ。ネットが長年地域で取り組んできたテーマである地方自治、教育の分権や子どもの権利、地域からの平和、共生とは似ても似つかない主張を展開する「つくる会教科書」を擁護する発言・国会質問(彼はそのつもりを否定しているが)を行ったパートナー、長島昭久衆議院議員の真意を問う約束の日は今日。こんな政局で慌ただしく、きめ細かい意見交換ができるはずはない、別の機会にするべきとも考えたが、このまま選挙へなだれこめない。現れた彼は普段どおり真摯な態度で我々の問に向き合う。「子どもたちの教科書選定はせいひつな環境でという一心でこの時期しかないと思った」「近隣配慮条項は屋上屋である」「教育委員への圧力や推進派へのいやがらせ等、反対派の行き過ぎた行動」返ってくる答えはホームページでの主張や国会質疑にあるものばかり。ネットメンバーは質問の枕詞で口々に教科書への違和感を口にするが、彼は「これのどこが皇国史観で戦争美化なのか読み取れない」と発言するにとどまった。その感想だけでもかなりショッキングだが、きっともっと評価したかったに違いない。ベースに「好きである」がなければとりあげたりしないことは議員なら誰でもわかる。彼の感性と私達のそれとは大きく異なる事を改めて確認。政治契約解消も有り得る。 しかし、明日から共に歩む方途を模索するのだ。違いを際立たせるだけでは何も解決しない。互いの感性を大事にしながら、話し込みながら共通目標のために手を携えていくのだ。腐敗しきり、市民感覚から離れた政治を変えるために頑張るしかない。私たちが知るあちら側の不当な政治介入や都の密室採択等に対する彼の意見は聞き出せなかった。現場教師らによる分科会での専門的で情熱的な検討、市民参加の検討委員会論議、開かれた場での教育委員会採択を行う昭島の事例を教えるいとまはなかった。何よりこれを読み当時の国定教科書と同じ匂いだと嘆く戦争体験世代の声など話せず未消化に終っている。だが、私達と彼に委ねられている次世代の政治への期待を諦めるわけにはいかない。地域の名もない市民の感情や肉声から発信し続ける市民政治は情緒にとらわれ過ぎているだろうか?信念、理念は声だかでも地域の運動や人々の情念に無神経では共感はできない。 ローカルとナショナルパーティが一本の太い絆で結ばれるためには互いのたゆまぬ努力が必要ではないか。果てしなく辛い作業が待っているとしても。
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